こんにちは。YSK(@YSK434295)です。
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よろしければご覧くださいませ。
では本文に入ります。
2017/10/25放送の「マツコ&有吉かりそめ天国」を視聴していて。
視聴者からのメールを紹介して、
その内容に対して有吉弘行さんとマツコ・デラックスさんが物申す、
みたいな構成になっているのですが、
このMCのお2人が話している内容で思う所があったので。
何をどう言っても直らない人はいる、という話です。
確かにそうだな~と思います。
でもイコール、この人が駄目かというとそうでもなかったりして。
前にも価値観や考え方が違うイコール自分と合わない人では決してない、
みたいな事を書いた気がしますが。
一緒にいるのがイヤだ、となってしまったらどうしようもないですが、
会える状態にある以上、会話する事ができますからね。
・・・私みたいに異を唱えたら無視されて会話すらできなかったケースもありますが(笑)
叱る事。注意する事。
そこに仕事が絡んでくる場合とプライベートの場合はありますけども、
結局「貴方と共に歩んでいきますよ」という覚悟がないとできない事だと思うのです。
じゃあ私にその覚悟があったか?無かったですね。
それ以前に言葉のボールを投げたら、既にそこにいなかったという事なのでしょうが。
となると、その行為自体が無駄な労力と思えてしまうんです。
番組中でMCのお2人が仰っていましたが、注意する側の自己満足でしかないのかな?と。
そもそもその怒る基準が本当に正しいかなんてきっとわからないじゃないですか。
だって人それぞれ本当に驚くほど価値観も考え方も違いますし。
育った環境も受けてきた教育も、生まれた国が違う事だってあるでしょうし。
「本当にこの人の為になっているのかな?」
と私も思ってしまいました。
その怒られた人のその先の人生にとって糧になるか?という風に考えると、
それはその当人にしかわからないわけであって。
私の温度と相手の温度が必ずしも同じなわけがない。
ある局面では足並み揃えてこれからの人生共に歩みましょう!
という関係じゃない事がほとんどですしね。言葉にすると冷めてるな~と思いますが。
その人の人生に片足突っ込む気なんて、きっと無いんですよ。
そういう風に考えると、
(いささか極端かもしれませんが)
他人に対して怒るだのというように感情的になって、
心労を重ねるだけの行為はしなくて済むようになるのかな。
なんて思って、このブログを書いています。
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