こんにちは。
自己紹介文はこちらから
ご覧いただけたら幸いです。

最初に昔を少し振り返ります。

小中学校時代は、いじめられてきた記憶がほとんどでした。
体への暴力もありましたが、心への暴力のほうが多かったです。
高校時代はいじめられるのを恐れて、
校内ではいかに目立たないかを過剰なまでに意識して過ごした記憶がほとんどです。

しかし、このような心の問題は他者はあまり理解してくれません。
人は目に見えるもの(殴られた蹴られた等)か自身が経験していない事には、
基本的に理解を示そうすらしないんだなと思って生きてきた気がします。

世の中、色んな人がいます。
人の数だけ価値観や考え方が存在するんだと今改めて思います。
そんな中で自分一人が生きてきた中で形成された価値観や考えなど、
いかほどのものでしょうか。

1.出会った人の数や行った国の数。
2.その世界、業界、職場に長く居る。
3.様々な世界、業界、職場を渡り歩いてきた。
4.自分のほうが年齢や経験値が上である。
などなど

物事の判断において、ひとつの指標とはなるでしょう。
でも絶対的なものではないと思います。特に対人関係においては。
絶対なんてものはないと思います。

自分が全てにおいて100%正しい。
誰々よりも自分のほうが正しい。

なにをもってそう判断できるのでしょう?
貴方はなぜそこまで他者に対して上から目線になれるのでしょう?
こういう人は一様にして他者の話を聞かず、自分の意見を曲げず押し通してきます。
自分が正しいからお前の話なんて聞く価値がない、とでも思っているのでしょうか。
もちろん、そうでない人もたくさんいます。
それこそ、色んな人が世の中にはいますから。

自信がそうさせてしまうのでしょうか。
やってきたことへの自信を持つのは結構です。

よくないのは、

自信があるからといって物事とちゃんと向き合わず、
自分の価値観だけで判断してそれを他者に押し付ける事。

だと思います。

なぜこんな事を書こうと思ったか。
最近ニュースで、とある記事をよく拝見するからです。
どの記事かは皆さんのご想像にお任せします。

報じている側は、
この方を、そしてこの方のした事を
何かとても特殊、異常な事として取り上げているように思えます。
私はそこにまず違和感を覚えました。

ひとつの狭い世界における常識が全て正しい前提で
一般社会に向けてそれが語られているようで正直気持ち悪いです。
受け取りようによっては滑稽にすら見えるかもしれません。
論点そこじゃないだろと思って見ています。

先人たちはこう言います。

「こんな事昔から当たり前だ」
「みんな経験している」
「私もそうだった」

で、だから何?

理想は全てを終えて後腐れなく、という形だったのでしょう。
それができなかった時の周囲への影響や迷惑はあるでしょうから。
しかし、それを承知の上でも、わかっていても、
そうせざるを得なかった経緯、事情があるのではないでしょうか?
一般社会で例えると退職届を直属上司に提出したのに、
上司が受け取ったまま人事に出さず正式に受理されないまま、
仕事をさせられ続け、次第に心が疲弊していった、とか。
あくまでひとつの可能性の話です。

報じる(報じたい)ならば。
結果を双方の目線でちゃんと報じた上で、
双方の言い分をちゃんと聞いてそれをそのまま公平に報じて、
その上で双方のペナルティの有無、
双方にとってのベターな落とし所はどこなのか?
今後、こういう事を繰り返さないためには双方がどうしたらいいのか?
これが論点なのではないか?と私は思っています。
綺麗事でしょうか?絵空事でしょうか?

ちょっと前にありましたね。某超大手企業での過労死問題。

この方はブラック企業での尋常じゃない激務に心身を壊してしまい、
ギリギリのところで命からがら転職した。という事だったりしないのでしょうか?
確かに先程も言いましたが多大なる迷惑はかかっているでしょう。
じゃあ、だからといって死んででも仕事しろと言えるのでしょうか?

先人たちはまたこう言うでしょう。

「こんな事昔から当たり前だ」
「みんな経験している」
「私もそうだった」

もう一度言います。だから何?

そういう価値観をぶつけるならば、
その人と、その人の心と、しっかり向き合ってからにしていただきたい。
何もする気がないのなら、無責任な放言はやめていただきたい。

感情的に書き綴ってしまった部分は多少あるかもしれませんが、
他人事と思えない部分があり、自分と重ね合わせて書いていたらこうなりました。

それでは失礼します。

 

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