こんにちは。
自己紹介文はこちらから。
ご覧いただけたら幸いです。
プロレスを通じて知り合った友達の話です。
知り合ったのは2010年だったと思います。
関係を絶ってしまったのはその2年後くらいでしょうか。
期間にしたらわずかではありましたが。
2010年に当時やっていたmixi経由で知り合った仲間達がいました。
その中には今も続いている親友もいます。
その親友に紹介してもらったのが初対面だったと記憶しています。
その友達(以降Aさん)からはよく観戦のお誘いが来るので、
私や前述の親友もよく一緒に行っていました。
プロレスとお酒が好きな人というのが、
当時の私の周りでは希少でして。
Aさんはその条件にピッタリ合っていました。
私も当時はビールだけですが外でもガンガン飲んでいたので、
ごく自然と仲良くなっていきプロレス観戦以外でも飲みに行くようになっていました。
2009年6月13日。
プロレスファンなら覚えている方、多いかもしれませんね。
三沢光晴さんがリング上のアクシデントで亡くなった日です。
Aさんはその団体を愛していました。私にはそう見えていました。
私自身はというと、
昔からどちらかと言うと全日派ではなく新日派で。
当時四天王が行っていた「ああいう試合」が好きになれないでいました。
いや、正直に言います。
全日本プロレスよりも新日本プロレスのほうが好きだったし、
全日四天王よりも闘魂三銃士のほうに思い入れを持っていました。
だから「ああいう試合」を見ても興奮も感動もできなかったのです。
そうすると見ていて何を感じるかというと、
「技があぶないなあ」
「似たような感じの技ばかりだなあ」
「これ、耐久レースじゃないか」
「これいつか事故が起きるぞ(死ぬぞ)」
という淡々とした思いでした。
だから2009年6月13日に事故が起きてしまった時にも、
「そらみたことか」
「ファンの目がマヒしててどんどん過激になっていったからだ」
「起こるべくして起こったんだよ」
という思いが最初に来てしまいました。
※ファンの方からしたら不快だと思います。申し訳ありません。
たぶんですが、私が抱いた思いは正論なのかもしれません。
この正論を振りかざしていました。
しかし正論が万人に対して正しいとは限りません。
人の心の状態にも依存すると思っています。
話を戻しますが、
私はAさんにもこの正論を振りかざしてしまいました。
三沢さんを、三沢さんが作ったあの団体を愛しているAさんに向かって。
私は今、自分で言ってしまいますが、新日本プロレスを愛しています。
新日本プロレスの選手達をほぼ全員大好きで尊敬しています。
Aさんには負けるかもしれないですが、同じ思いです。
2017年イッテンヨンのメイン戦や、
その後の2月のビッグマッチでの試合。
一言。過激でした。見ていて怖かったですが感動もしました。
複雑な思いに駆られました。
「俺たちがこれを求めてしまっているのだろうか」
「この人達は俺達のためにここまでしてくれているのに、
それを頭ごなしに否定してしまう権利があるのだろうか」
「見守るしかないのか…」
※だから棚橋弘至選手がポッドキャストで、
選手の立場でああいった試合に警鐘を鳴らしてくださったのは、
本当にホッとしましたし改めて尊敬の念を抱いた限りです。
Aさんも同じ思いだったのではないか?
私が振りかざした正論、そんな事はわかっている。誰もがわかっている。
でも、それでも、と。愛しているがゆえに言えない、と。
そんなAさんの思いを考えずに私は正論で真っ向から否定してしまいました。
やっとわかった気がします。と同時に反省しました。
「やってしまったな」と。
関係を絶ってしまったと先程書きましたが、
Aさんは優柔不断なところがあり、それに耐えかねた私から関係を絶ちました。
何人かで4月に飲み会を開こうと思い立ったとします。
「いついつまでに4月でヒマな日を教えてください」
と各所に投げかけたとしましょう。3月頭~中旬頃に投げかけています。
Aさんは何回か催促をしないと、ほぼ返事が来ません。
ただAさんの返事をいつまでも待っているわけにもいかないので、
締切日までに返事が来ている人達だけで飲み会やろうと普通はなると思います。
例えば4月20日に決まったとしましょう。Aさん抜きです。
誰かがAさんに言ってくれたのでしょうか。
あるいは幹事である私が最後通告で「この前連絡した件、
4/20になったから来れるようだったら来てね」みたいに連絡したのかもしれません。
「あ、4/13と14でお願いします」
みたいな感じの返事が来る事が往々にしてありました。
(…4/20に決まったよっていう連絡、見てねえのか?)
(…そもそも返事よこさなくてごめんなさいの一言はねえのかな?)
(…え、、また日程組み直さないといけないの?)
と私は思ってしまうのです。これくらい当たり前だろ?と。
(ここで私も良くないのはAさんにちゃんと言ってあげなかった事だと思います。
私の当たり前がAさんの当たり前とは違うというごく当たり前の事に気づけなかった)
そういう事が積み重なっていきました。
良く言えば男らしくサッパリしているのだろうが、
本当は配慮が足らずあっさりしているだけじゃないか、
とAさんに対して思うようになっていきました。
こういう事もありました。
Aさんとはいつも新宿で飲むのですが、
その日は秋葉原のプロレスショップに行きたいという事になって、
秋葉原で待ち合わせようという話になっていて、
Aさんは当日の仕事が長引いていた事もあり、私は秋葉原で待っていました。
待っていたのは1時間位でしょうか。
Aさんから着信がありました。普通は秋葉原に着いた旨の連絡だと思うところが、
「新宿に着きましたけど今どこにいますか?」でした。
はぁ?と思いました。同時に何かプチッと音がしたように思えました。
この時はさすがに注意したはずです。
どうせ最終的に新宿まで行って飲むことになるのだからいいじゃないか。
みたいな感じで私が新宿まで行きました。
その後、何度か飲み会の催しの際に、
前述のような返事のやり取りがあったので、
さすがに限界というか、めんどくさくなり、
誘う度にこういう気持ちになるのも嫌なので、と、
もう会うのをやめましょうと言い関係を絶ちました。
親しき仲にも礼儀あり
これはやっぱり大事だと思うのです。
配慮が無い人、思いやりが無い人とはやはりお付き合いできません。
それは今でも変わっていないです。
ただ、その都度その都度、たとえ当たり前だと思うことでも、
その人と向き合ってちゃんと伝えてあげる事をしてもよかったなと反省しています。
私も相手からしたら配慮と思いやりがないと思われていたのではないか?と。
以前、私が最も信頼している上司と飲んだ時に
「ちょっと女性的なところ、あるよね」と漠然と言われた事を思い出しました。
当時は一笑に付しましたが。どういう事か聞いてみたくなりました。
Aさんとの関係を絶ってしまった事に後悔はないです。
都度都度ちゃんと言ってあげててもこうなっていたのだと思いますし。
ただ、プロレスの話の時に、Aさんが心の底から愛していたものを、
正論を盾にして真っ向から否定してしまった事は、
今、私が同じように新日本プロレスを愛するようになって、
なぜあの時にわかってあげられなかったんだと思わずにはいられません。
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