こんにちは。YSK(@YSK434295)です。
自己紹介や趣味などはこちらにまとめてあります
よろしければご覧くださいませ。

では本文に入ります。

好きなレスラーについて語るシリーズ第3弾!

今回はドルフ・ジグラー(Dolph Ziggler)です!
(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

■はじめに

本名はNicholas Theodore Nemeth※ウィキペディアより引用
ニック・ネメス、とウィキペディアには書かれていました。

1980年7月27日生まれ※ウィキペディアより引用
2017年現在で37歳。現在、WWEで活躍中。

入場時のリングアナのコールでは「ハリウッド(LA)在住!」となっていますが、
出身はオハイオ州クリーブランド
ケント州立大学ではアマレスの猛者として名を馳せていたようで、
後に同大学レスリングの殿堂入りを果たします。
https://www.kent.edu/einside/news/varsity-k-hall-fame-welcome-eight-new-members

彼は99年から03年まで大学に在籍していたようで、
ウィキペディアによるとWWEと契約したのが2004年となっていました。
プロレスラーとしてのキャリアもWWEが最初のようですね。

使い古された表現かもしれませんが、
つまりは「WWE生え抜き」という事になりますね。

私は彼が大好きです。

しかし彼がドルフ・ジグラーとして大ブレイクする前、
様々な苦労があったのでは、という事を私は当時知ることができませんでした。

そういう意味でも、今回彼のキャリアを追ってみた事は、
これから先、彼がどういうキャリアを歩んでいくかわかりませんが、
一層彼を好きになると共に応援したくなる事は確実でしょう。

個人的な願いとしてはWWEに残ってほしいです。
そして現場を仕切るような立場にミズと一緒になってほしいです。

■第1章:カーウィン・ホワイトのキャディー(2005.09-11)

私が彼を最初に観たのはこの頃です。

当時、チャボ・ゲレロ・ジュニア(リングネームはチャボ・ゲレロ)が、
カーウィン・ホワイトという名前に変え、詳細は覚えていないですが、
ゴルファーの格好をしてキャディを従えていました。

※ウィキペディアによると2005年9月だそうです。

キャディの彼に名前は与えられていたのでしょうか?
というくらい、申し訳ないけども「そういえばいたね~」程度の印象でした。

そう、このキャディが後のドルフ・ジグラーなのでした。
当然そんな事を知る由もなく「あーあチャボかわいそう」くらいに思っていました。

さて。この年の11月13日は何の日でしょう。
チャボの叔父であるエディ・ゲレロが逝去した日なのです。

これを受けて追悼番組が行われ、
その中でカーウィン・ホワイトチャボ・ゲレロに名前を戻し、
カーウィンのキャラはなかったことになったのでした。

だから、タラレバでしかないのですが、
エディが健在であればチャボは不満を訴え退団していたかもしれません。
そうしたらキャディだったジグラーはどうなっていたでしょう?

もしかしたら日の目を見ることなく解雇されていたかもしれません。

というような邪推を、
後に彼がドルフ・ジグラーとして大ブレイクを果たした時に私はしてしまったのでした。

■第2章:The Spirit Squad-スピリット・スクワッド-(2006-2007)

2006年1月、The Spirit Squadという集団が突如番組に登場します。

高校のジャージみたいな格好をした若手っぽい5人です。

当時のトップクラスであったショーン・マイケルズの試合によく介入してきていて、
「なんなんだこいつらは!」と当時は番組を観て思っていました。

この5人の中でケニーマイキーという青年が有望株なイメージで、
ケニーは長身で身体能力にすぐれ、
マイキーは体格は小柄ですがテクニシャンという感じでした。

このグループはウィキペディアによると2007年に解散となってしまいます。
その後、前述したケニーケニー・ダイクストラという名前でピンデビューを果たします。

他のメンバーはどうなったかはわかりませんが、
おそらく当時の育成団体(=2軍)であるOVWに降格となったか、
解雇された人もいたかもしれません。

少なくともその後のWWENXTなどで彼等を見かけなかったので、
ジグラー以外のメンバーは最終的には解雇されたか退団していると思われます。

このように、この5人の中に後のドルフ・ジグラーがいたはずなのですが、
それがジグラーだと認識するほどではなかったのでした。
前述の2人以外の3人は、特に何か突出したものを出せていたかどうか。
それくらい正直、個人的には誰がどの名前で、というまでに至らなかったです。

ちなみに5人全員の名前を書いておくと、
ケニー
マイキー
ジョニー
ニッキー
ミッチ
です。

ニッキーがジグラーです。

ケニーマイキーはこの10年後の2016年、
ジグラーと抗争していたミズの取り巻きとして突如復帰し、
暫くの間、ジグラーと試合を繰り広げていましたよ。

こちらの動画は当時抗争していたHHHショーン・マイケルズDXとの試合。
(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)
ジグラーを探せ!的な感じでご覧くださいませ!

こちらは16年にケニーマイキーが復帰した時。
昔の彼等を知っていたので懐かしかったです。
(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

■第3章:ドルフ・ジグラーとして(2008)

ある時からバックステージにて、
いきなり誰かれ構わず自己紹介をする選手が現れました。

いかにも不遜な若者、といった感じだった記憶です(笑)

彼は自らをドルフ・ジグラーと名乗りました。

ただ、デビュー戦の相手が誰だったか?などの記憶は正直私はなく、
ウィキペディアによると当時のトップであったバティスタだったようです。

なのでこの時期ですら、私の彼に対する記憶としては、
バックステージでやたら自己紹介しまくっていた生意気な若手、
というイメージしか残っていませんでした。

そんな状態から、
どのように私が彼にのめり込んでいくのか?
それは次章になりそうです。

■第4章:シングル戦線へ食い込み(2009-2010)

このあたりから私は彼に注目するようになります。

それは
・試合内容

この1点のみでした。

とにかくこの頃既に受けの素晴らしさといえばいいのか、
激しい受けっぷりを発揮しており、繰り出す技の数々も、
身体能力の高さを活かしたものから、アマレスの動きを取り入れたものまで、
様々で、それは見る者をひきつけていくのでした。

彼曰く、そして私も同感ですが、この頃から2015年くらいまで、
彼はヒールからベビーフェイスまで経験しますが、試合スタイル自体は変わっていません。
お客様が徐々に声援を送り始め支持をするようになっていったのです。

これは当時WWEではあまり例のない現象だったと感じています。

当時の彼のフィニッシャー(必殺技)は、
現在も使っているジグザグ
なんて表現すれば良いのか。

飛びつき式リバース・・・
ウィキペディアによると(逃げw)
ジャンピング・リバース・ブルドッグ
とありました・・・!(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

彼の体格は6ft(約183cm)、218lb(約99kg)
感覚的に新日本プロレス柴田勝頼選手と同じくらいでしょうか。
決して大きくないと思います。

そんな中、自分がWWEで生き残っていくにはと、
激しい受け身を取るようになったかもしれませんね。

また、フィニッシャーもジグザグだけでは厳しくなっていくとみるや、
スリーパーホールドをフィニッシャーとして使い始め(渋い!)、
ケインマーク・ヘンリーグレート・カリなど当時の超大型選手を相手に、
勝ち星を挙げていきます。

※ちなみに今はスーパーキックジグザグを相手に応じて使い分けている印象です。

彼がお客様の支持を得始めたと個人的に感じたのは、
当時のスーパーベビーフェイスと言っていいレイ・ミステリオとの抗争時でした。

ミステリオの人気は絶大でしたが、
ジグラーと戦っているうちに会場中がジグラーを応援し始めるという、
「ここは日本の会場か!」とツッコミを入れたくなるような心境に陥ったのでした。

このように徐々にシングルプレイヤーとして頭角を現し、
遂に2010年7月28日。当時の王者だったコフィ・キングストンを破り、
自身初のシングル王座であるIC王座を獲得するのでした。

不思議と彼の誕生日の翌日なんですね!

※同王座には2017年現在、5度も戴冠しています。

■第5章:世界王座戴冠、Mr.MITB獲得、AJリー(2011-2012)

※注:恋仲になるというくだりは全部フィクションです!

この頃、エッジと別れてしまったヴィッキー・ゲレロ(故エディ・ゲレロの奥様)
と恋仲になるストーリーに突入していました。

当時、ヴィッキーと絡むというのは言葉は悪いですが、かなりおいしく、
なぜならヴィキーが登場すると会場からはイジリというか、
喋ろうとするとブーイングが巻き起こり否応なく注目される位置だったからです。

そのエッジへの復讐を兼ねてなのか、
彼の持つ世界王座への挑戦権をヴィッキーの手引というような感じで手にし、
見事に世界王座を奪取します。

これがジグラーの初の最高王座戴冠となります。
しかしストーリー上の流れで比較的早めにエッジに奪い返されてしまいます。

おそらくですが、まだジグラーではメインクラスを任せられない、
という結論になってしまったのではないか、と想像しています。
かわいそうだと思ったし個人的にも残念でしたが、仕方がない事なんですよね。

その後、コフィ・キングストンからUS王座を獲得したり、
ジャック・スワガーと組みタッグ王座戦線へと身を投じていきます。

そして2012年初頭に当時WWE王者だったCMパンクへ挑戦しますが破れてしまいます。

そして7月のPPV大会。Money In The Bankにおいて勝利し、
栄光の架け橋じゃないですがMITBを獲得します。
MITBに関して知りたい方はこちらの記事をご覧くださいませ!

そして夏以降から年末にかけて、
当時CMパンクダニエル・ブライアンジョン・シナなど、
トップクラスの面々とストーリーで次々と絡んでいたAJリーと恋仲になります。
AJについては本シリーズの第2弾にて語っていますのでこちらもどうぞ!

そして、この2012年にスタートし今でも猛威を奮っているNXTから、
同年末にビッグEAJが連れてきた事もあり、3人でジョン・シナを付け狙うようになっていきます。

年末最後のPPVではジグラーシナに勝利を収めています。

■第6章:MITBキャッシュイン、世界王者、脳震盪、新しい波(2013-2015)

2013年のレッスルマニアビッグE(当時はビッグEラングストン)とのタッグで、
ダニエル・ブライアン&ケインのタッグ「Team Hell No」の持つタッグ王座に挑戦します。
尚、これがビッグEとセコンドにつくAJリーにとって初のレッスルマニアとなりました。

AJについて語った記事にも載せましたが、公式動画ではないですが、
この3人がレッスルマニアが開催される地で過ごす数日間を描いた、
「WrestleMania Dialy」という動画がとても素敵なのでもう一度載せますね。

結果としてはタッグ王座奪還とはなりませんでした。
しかしこの翌日のRAWにて事件が起こります。

当時世界王者だったアルベルト・デル・リオ(現アルベルト・エル・パトロン)。
彼と挑戦者ジャック・スワガー世界王座戦リマッチが組まれました。

レッスルマニアの時も、そしてこのRAWでの試合も、
一貫してスワガーは必殺のアンクル・ロックデル・リオの足を攻め続けました。
それを如何にして切り返すか、という攻防が試合のキーポイントとなっていたのですが、
お客様の焦点はもはや別のところにいってしまっていました。

そう、ジグラーが2012年に獲得したMITBのキャッシュインです。
「今だろ!」という空気が会場中を包み込んで怒号のようなジグラーコールが、
デル・リオスワガーの王座戦の最中にも関わらず巻き起こっていました。
「We Want Ziggler!!!(ジグラーを出せ!)」と。

気持ちはわかるけど、さすがに試合に出てない人のコールはやめようよ・・・
と思いながらTVで観ていました。

海外のお客様は素晴らしいと感じたものには惜しみなく賛辞の意を送りますが、
ダメだと感じたものには容赦なく罵声を浴びせますし関係ない事で騒ぎ出します。
昔からミュージカルでもつまらなければ途中で席を立ち帰ってしまう、
なんて聞いた事があるように、エンターテイメントに対してはとても厳しいようです。

デル・リオスワガーにはかわいそうだったかもしれませんが、
この時のジグラーへの追い風は凄まじかったです。

そうした空気の中、足を破壊されながらも防衛したデル・リオの前に・・・
ジグラーのキャッシュインです。(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

これが2013年4月の出来事です。

そして5月のPPVで戦う予定だったであろうスワガーとの抗争の中、
スワガーのキックがジグラーの脳天付近に当ってしまい、
脳震盪を起こしてしまいます。
先のルール関係まとめ記事でも触れましたが、
WWEは頭部への打撃、衝撃への対応は一層厳しいです。

世界王者になってこれから!という時にジグラーは欠場となってしまいます。
この5月のPPVではデル・リオスワガーの第1挑戦者決定戦が行われました。

その後、6月のPPVに復帰となったジグラーですが、
挑戦者となったデル・リオの非情なまでの顔面への攻撃により、
世界王座から陥落してしまいます。
※ちなみにこの時にAJリーが自身初のDIVA王座戴冠を成し遂げました。

アクシデントなので仕方ないとはいえ、
これはTVで観ていて何とも言えない気持ちになったのを覚えています。

当時番組では前述の6月のPPVで新DIVA王者AJリーが大活躍。
抗争相手のケイトリンと共に連日のように会場内を沸かせるストーリーを繰り広げていきます。

ジグラービッグEAJの2人と仲違いをし、ケイトリン側につき、
AJケイトリンの試合のセコンドについたり、男女混合戦に出るようになっていきます。

AJが自らの手で男女間の壁をぶち壊し、女性でもストーリーの中心になれる!
そんな思いで駆け抜けていたであろう時期と、ジグラーが脳震盪で苦悩する時期がかぶってしまった。
当時、実はそんな複雑な気持ちでTVを観ていました。

これだけでなく、セス・ロリンズディーン・アンブローズロマン・レインズ
そしてブレイ・ワイアットワイアット・ファミリーの2人、ルセフなど。

WWEにどんどん新しい波が押し寄せてきます。

それだけならまだしもジグラー達よりも、更にジョン・シナ達よりも上の世代。
いわゆる昔に数年だけ活躍していたような、既に退団していったような選手達が、
あるいは在籍してはいるけどフルタイムで活躍できないような選手達が、
こぞってビッグマッチになると復帰してきてメインクラスのカードを占拠していきます。

この時期だと、
ロックバティスタロードドッグビリー・ガン
そして今でも出ていますがブロック・レズナーなどですね。

そうです。ジグラー達の世代はまさに板挟みとなってしまったのではないでしょうか。

更に2014年1月にはCMパンクが突如番組開始前に会場を去ってしまい、
以降、翌15年3月にUFCとの契約が発表されるまでの間、公式発表もなしにいなくなる、
という事件まで起きてしまうのです。

2012年末~2015年はまさに激動の時代といった感じだったと思います。
そんな中、脳震盪で苦しみながらジグラーは自らの職務を全うすべく、懸命に戦い抜いたのです。

現に彼は2014年にはIC王座に3度戴冠するなど、
新進気鋭の連中を相手に劣ることなく結果も残しています。

また2014年11月PPV、サバイバーシリーズにて。

当時、HHH&ステファニー夫妻オーソリティーと称して、
権力を振りかざすべくセス・ロリンズを中心に据えてWWEを蹂躙していた時代。

いわば選手側VSオーソリティー5VS5形式の試合が組まれ、
選手側にはジョン・シナの他にジグラーの姿が。

シナが負ければ選手側は全員クビという理不尽な条件の中、
ジョン・シナビッグショーの裏切りに合い敗退。
試合も選手側はジグラー1人。オーソリティー側は、
セスケインルーク・ハーパーという絶対的不利な状況。

ここでもジグラーは懸命に戦いケインハーパーを敗退させ、
遂にセスとの一騎打ちにまでこぎつけるという大活躍を見せます。

HHHの介入を突如登場したスティングが防ぎ、
ジグラーを助けるという展開こそありましたが、
ジグラーセスに、オーソリティーに勝った!という場面を作り出したのです。

公式youtubeチャンネルにダイジェスト動画でもあればよかったのですが。
まあ、海賊版ならyoutubeにありますので。。それでもいいのでよかったら見てみてください。

2015年はレッスルマニア時期まではIC王座戦線に。
そこから9月か10月くらいまででしょうか。半年ほど確か露出が減ります。
元々誰よりも激しい受け身、激しい試合をして生命を張ってきたでしょうから、
オーバーホールだったらいいな、と思っていました。

後に2017年の公式インタビューでも述べているようですが、
コメディの舞台にも挑戦をしているとの事でした。
この露出が減った時期と重なるかもしれません。

2015年時点でキャリア11年。
自分の今後について考える時期だったのかもしれませんね。

年末頃にはルセフ、そしてタイラー・ブリーズといった、
若手を迎え撃つような位置づけで試合をしていました。

■第7章:対NXT世代(2016)

2016年2月PPVファスト・レーンにて、
ケビン・オーエンズの持つIC王座へ挑戦するも奪還ならず。

4月のレッスルマニアにはIC王座ラダーズマッチへ出場。
自身の王座奪還はなりませんでしたが、同世代とも呼べる、
苦楽をともにしたであろうザック・ライダーIC王座戴冠となりました。

ちなみに当試合の出場者は、
王者のオーエンズサミ・ゼインシン・カラというNXT世代と、
ジグラーミズザックスターダスト(現CODY)というNXTを経ていない世代でした。

日本風な言い方をすると、個人的に、
「新世代VS俺達の世代」的な感覚で観てしまっていて、
後者の世代であるジグラーミズザックコーディ(この時はスターダスト)
が頑張ってくれたのは実は嬉しかったんです。

ちなみにコーディはこの後、WWEを退団。独自のキャリアを歩む事となります。
コーディについては本シリーズ第1弾で語らせていただきました。よかったらこちら!

5月のPPVペイバックにて、
前月レッスルマニアにてNXTより昇格したバロン・コービンを迎え撃ち、
見事勝利を収めます。

翌6月のPPVエクストリームルールズではリマッチ。
バロン・コービンがリベンジを果たし、
更に7月のPPVマネー・イン・ザ・バンクでもコービンは勝利を収めます。

8月のPPVサマースラムではディーン・アンブローズの持つ、
WWE世界王座へ挑戦するも破れてしまいます。

9月のPPVバックラッシュではミズの持つIC王座へ挑戦、
この年の4月にミズは実際の奥様である元DIVAのマリースを復帰させ、
介入させまくっていた事もあり、IC王座奪還はなりませんでした。

その後もマリースの介入によりIC王座を奪取できないまま、
10月のPPVノーマーシーでリマッチを主張するも、
「お前、何度やっても勝てないじゃないか。リマッチする必要あるのか?」
と至極正論で逃げ切ろうとします。

そんな中、ミズはリマッチ受けてやると。
ただ負けたらお前、引退しろと条件を突きつけてきます。

そんな経緯で組まれたPPVでのIC王座戦
ジグラーは見事勝利し5度目のIC王座戴冠となるのでした。
(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

そして11月のSMACKDOWNの放送。
リマッチにてミズIC王座に奪い返され、
(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

更に12月のPPVでのリマッチに失敗してしまい抗争は一段落するのですが、
新世代大躍進のこの時代にミズジグラーでストーリーを盛り上げ、
PPVでの一騎打ちにまでこぎつけ名勝負を繰り広げるという、
なんとなく勝手に彼等の意地を見せてもらった気持ちになり嬉しかったのを覚えています。

~余談~

期待の新人や他団体で経験のある選手がデビューする際、
おそらく鳴り物入りという位置づけでしょう。
会社としては、この選手達でビジネスが展開できるかの品定めをする時です。
そんな中、彼等がのびのび試合ができるよう務める。

門番とでも言うのでしょうか。
これって誰でもできる事ではないと思っていて。
相手の良さを十二分に引き出す事ができる技量がないとできないと思います。

90年代に新日本プロレスの解説を務められたマサ斉藤さんが、
「新人のこれからはデビュー戦の相手にかかっている」
と仰っていたのを思い出しました。

もちろん、デビュー戦でいい思いをしたとしてそこで慢心してはダメで、
常に自身を更新させるべく努力は怠ってはいけない、結局は本人次第なのは、
どこの世界でも一緒だと思いますが、それでも、こういう心強い先輩がいてくれる事が、
どれだけ助けになる事か。

~余談終わり~

こんな事を個人的に感じながらジグラーを観ていた2016年だったと思います。

■第8章:ベテランとして(2017-)

2月のPPVエリミネーション・チェンバーあたりから、
これまたNXTより昇格してきたアポロ・クルーズと抗争を開始します。

このあたりからか、発言が嫌味ったらしくなってきたりと、
ヒールっぽさを初めて押し出すようになっていきます。

これまでもヒールになったりベビーフェイスになったりしましたが、
あからさまに言動やファイトスタイルを変える、という事は、
素人目ですがしてこなったように思えました。
※素人では気づかない細かな点を変えているのかもしれませんが・・・

だから「お、新たな一面!」と感じていたのを覚えています。

そして4月。これは皆さんも記憶に新しいのではないでしょうか。
中邑真輔選手ことShinsuke NakamuraがいよいよWWEへ昇格。
その最初の相手をジグラーが務めたのでした。
※この時期にちょうどジグラーへの思いをこんな記事にしたためたのでした。

5月のPPVバックラッシュまでTVではほとんど交わる事なく一騎打ちを迎えます。
(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

中邑選手の新著でも述べられていますが、ジグラーの力量が素晴らしく、
試合している内に楽しくなってきちゃった。みたいに仰っています。
中邑選手らしい粋な表現だな~と思い、嬉しくなりました。
※ちなみにこちらがその新著!

6月のPPVマネー・イン・ザ・バンクでは本戦に出場。
Shinsuke Nakamuraを含めたNXT世代とも真っ向から渡り合いました。
※ちょうどこの時期にマネー・イン・ザ・バンクについての記事を書いたのでした

この後、6月中旬くらいから9月初旬頃まででしょうか。
イベントには出ていたようですがTVへの露出は減っていたように思えます。
おそらく前述しましたがコメディの舞台に挑戦していたのだと思います。
公式インタビューにもこの時期にちょくちょく出ていた旨が語られていました。

そして記憶に新しい10月8日のPPVヘル・イン・ア・セル
8月にNXTより昇格してきたボビー・ルードの相手を務めます。

これも9月初旬くらいからでしょうか。
ボビー・ルードがおそらく当時NXTのストーリーと掛け持ちしていたからか、
番組に出て来れない中、彼は一人でストーリーを紡いできました。

ボビー・ルードとのストーリーはこうです。
「どいつもこいつも入場だけは派手で試合はしょうもない」
「俺こそがWWE史上最も優秀な試合巧者(In Ring Performerと英語では言っていました)なんだ」
と言い続け、過去のレジェンド達の入場のパロディをやり続けるというものです。

果たして。ボビー・ルードとの試合は技術と技術。
インサイドワークとインサイドワークがぶつかり合う見事な試合となり、
最後は丸め込みの応酬の中、ボビー・ルードが勝ったのですが、
直後にジグラールードを急襲。To Be Continuedとなり現在に至ります。

(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

10月17日放送のSMACKDOWN LIVEにて組まれたリマッチではジグラーが勝利しました。

(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

ボビー・ルードとは一体どういうレスラーなのか?
それはこれらの試合を見ればわかる!そういう試合だったと振り返って思います。
WWE Networkに加入してなくNXTを観れていないファンもいるでしょうからね。

そして当記事をアップしたのは2017年10月28日
翌週10月31日放送(日本時間では11月1日)のSMACKDOWN LIVEでは3度目の対決として、
「2 out of 3 fallsマッチ(※3本勝負)」が組まれました。
しかも11月のPPVサバイバーシリーズにおける対抗戦メンバー選抜権も賭けて。

(引用元:WWE公式youtubeチャンネル)

以上が、これまでのジグラーWWEキャリアとなります。

■最後に

2017年10月28日時点での実績面
・世界ヘビー級王座 2度戴冠
・IC王座 5度
・US王座 1度
・タッグ王座 1度(スピリットスクワッド時代)
・MITB 1度
・グランドスラム

※グランドスラムというのは、
最高王座、IC王座、US王座、タッグ王座の全てを戴冠した人に送られる称号で、
2015年以降は下記メンバーしか達成できていない。
・エッジ(引退)
・ダニエル・ブライアン(引退)
・ミズ
・ドルフ・ジグラー
・ディーン・アンブローズ

また、彼の魅力を個人的に挙げると、
・アマレス仕込のテクニック
・身体能力の高さ
・受けの上手さ
・相手の良さを引き出すところ

つまりは前述しましたが、
「Best In Ring Performer」
のうちの1人なんだと思います。

技のラインナップとしては冒頭で挙げた
・ジグザグ
の他に、
・伸びのあるドロップキック
・立っている相手にも届いてしまうフェイマサー
・猛スピードのスーパーキック
でしょうか。

特にスーパーキック。
構えから相手の顎にヒットするまでがあんなに速い選手を私は多分観た事がありません。

———————

また・・・あれやこれや噂が出回っているのは知っています。

ざっくり書くとこうです。
※あくまで噂です。真実かもしれませんがゴシップの域を出ていません。

1.ジグラーの契約は10月末まで
2.彼は現状に不満があり契約を更新していないのではないか?
3.いや、ボビー・ルードとの抗争のために短期で更新をしたのではないか?
4.新日本プロレス11.5大阪大会で登場が発表されるのは彼ではないか?
5.新日本プロレス2018.1.4レッスルキングダムで登場するのか!?

などなど。

フォロワーさんの中にも、
「ジグラー新日本プロレスに来てほしい!」
という方もいました。

私は、というと当記事の冒頭にこのように書きました。

個人的な願いとしてはWWEに残ってほしいです。
そして現場を仕切るような立場にミズと一緒になってほしいです。

※現場を仕切る、というのはバックステージリーダー的な位置、という意味です。

なぜか?ずっとWWEでの彼を観てきたからです。

ドルフ・ジグラーになってからの初期からずっと、
彼は常にチャレンジャーだった気がします。
自分よりも強い相手、大物に臆する事なく、
真正面から立ち向かい激しい受け身を取ってきました。

しかしそれは最初に最高王座を獲った2011年以降も、
変わらないように見えました。

私がファンとして観てきた選手達は王者になると、
自然と王者としての横綱相撲みたいな戦い方をしてきました。
日本語解説の方もそのように称する事が多かったので、
私はチャンピオンはそういうものだ、と思うようになっていて。

でも彼はずっとチャレンジャーとしての戦い方のままでした。
そう思っていたらすぐさま王座を奪い返されてしまいました。

2度目の戴冠の時、ビッグEAJを従えてリーダーみたいな立場でした。
今度こそ!と思っていたらアクシデントで脳天を蹴飛ばされ脳震盪に。

その後はパートタイマーが跳梁跋扈(言葉は悪いですが)するような時代になり、
トップの一角だったパンクが退団してしまい、ブライアンは同じ脳震盪で引退を余儀なくされます。

同時期に優秀過ぎる新人や他団体でトップを張っていたような選手達が、
次々と入団してきて新しい色にどんどん塗り替えられていってしまいます。

気づけばシナオートンはフルタイムではなくなっていて、
その真下の世代のジグラー達の事を思うと新戦力を100%歓迎はできない心境になっていて。

それでも彼は門番というか、下を迎え撃つという立場を任されるようになりました。
証拠に彼とデビュー戦を行った選手達は何らかの形で番組に出続けています。
ここ最近の彼の落ち着いた表情、誰が来ても動じない、まるでチャンピオンのような姿勢。

2017年時点で彼のWWEキャリアは13年。その13年をほぼ全部観てきた私はやはりこう思います。
「立派な大人になって・・・」※私にはそう見えるだけです。

だから、個人的に彼のWWEでのこの先を見守っていきたい。
というのが私の本当のわがままな本音です。

とはいえ。これは私の人生ではなくジグラーの人生です。

ジグラーがこの先どういうキャリアを歩んでいくのか?
どういう形であれ、それを受け止め応援する事。
それが私個人の考えるファン像であり、私が彼等に対して取りたいスタンスです。

自らの意思でWWEを退団するのなら、それも良いでしょう。
その後、新日本プロレスに上がる。それも良いでしょう。
レスラーは暫く休んでコメディの仕事を本格的にやる。それも良いでしょう。
家族との時間を大切にしたい。それも良いでしょう。
WWEで今の役割を全うしたい。それも良いでしょう。
WWEでキャリアを終えたい。それも良いでしょう。

もう一度言います。
ジグラー自身の人生なので、私は彼が自分の意志で決めた事ならば、
それを全力で応援したいです。

なぜか?
私はレスラー、ドルフ・ジグラーが好きなのではなく、
ジグラーという人間そのものが好きだからです。※もちろん見える範囲内ですが・・・
彼が楽しそうに、活き活きとしてくれているだけで十分ですから。

これからの彼の人生が、どうか華やかでありますように。
セカンドキャリアに支障のある大怪我をしない範囲でどうか無事にレスリングシューズを脱いで、
第2第3の人生も幸せに、元気に、楽しく送れますように。

以上、長編でしたが最後までお付き合いくださりありがとうございました。

少しでも皆様にドルフ・ジグラーの魅力が伝われば幸いです。

 

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