こんにちは。
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ご覧いただけたら幸いです。

好きなプロレスラーの話です。
2006年~2010年までのキャリアについてはこちら

CM PUNK(CMパンク)
今回は2011年だけにします。

■2011年
当時WWEにて猛威を奮っていた若手中心のユニット「NEXUS」
現役オリジナルメンバーはもうスレーターとヤングしか残っていませんね…
このグループからリーダーのバレットが追放されます。
そしてパンクがNEXUSを率いるようになります。

この時のパンクNEXUSのメンバーが※2017年2月21日時点
デビッド・オタンガ→現SMACKDOWNコメンテーター
メイソン・ライアン→WWE退団済
マイケル・マギリカッティ→現カーティス・アクセル
ハスキー・ハリス→現ブレイ・ワイアット
です。

もうお気づきですね?
2017年現在のトップヒールが若手時代にパンクに師事していたのです。
当時上記メンバーはオリジナルNEXUSに比べたら
正直パッとしないポジションだったと思います。

私は今でもパンクがメンバー選出に関わっていたのではないかと想像しています。
前述のDVDを観ると感じますがバックステージでかなり意見を言っていたようですから。

このメンバーを率いてランディ・オートンを襲いレッスルマニアで一騎打ちをするのですが、
その過程でオートンはNEXUSメンバーを次々とパントキックで欠場させていきます。
その時に一番最初に排除されたのがハスキー・ハリスでした。
それ以降ハリスは2軍に落とされ2013年までWWEに上がってきませんでした。
それが今やブレイ・ワイアットとしてワイアット・ファミリーを率い、
(2017年2月21日現在)トップヒールとなりオートンを配下に置いているとは…(涙)
あ、途中からワイアットについての話みたいになっていますね(笑)

パンクの契約は7月中旬からの3年契約というような形だったらしく、
この年の同時期に契約が切れる事になっていました。

その1ヶ月前の6月に、皆さんご存知のアレがRAW生放送中、
世界中に炸裂します。そうPipe Bombですね。
もうヒヤヒヤして聞いていました。同時にどこか痛快に聞こえてしまったのも事実です。
それだけパンクの話に引き込まれてしまいました。

今では実況チームが頻繁に口にするようになったNew Japan Pro Wrestling
というワードも、この時パンクが口にした時には会場も私もザワつきました。
この時に長年積み重ねてきた恨みつらみを、まあ見事に流暢にしゃべりまくります。
WWE、ビンス、シナ、ロック、HHH、ステファニーなど矛先は縦横無尽でした。

最終的にパンクは当時チャンピオンだったシナに挑戦を表明し、
契約が切れる直前のPPV MITBにてベルトを獲ってWWEを辞めてやる!
と言い放ちました。今思えばこの時パンクは一世一代のケンカを、
後にライバルとなるジョン・シナとWWEにふっかけたのだと思います。
それはシナと肩を並べるために、オートンを番付で上回るために、

そしてもしかしたら下に控える若手たちの未来の為に行動を起こしたのかもしれません。
これも私の想像でしかないですが、そんな風に思えてしまうのです。
当時のパンクは「自分が行動を起こすしか未来はない」くらい思っていたかもしれません。
後のパートタイマーEraとでも言うのでしょうか。新日本風に言えば暗黒期ですか。
思い返せば、今の混沌とした時代を予見していて危機感を持っていたのかな、
なんて思ったりしています。でもこの流れは食い止められなかったでしょうね。

いやらしい言い方ですが、イチ従業員がいくら騒いだところで、
大企業の方針を変えるなんてほぼ不可能です。
会社の中でうまく立ち回り、上司をうまく使っていくなどせねばなりません。
まずは上司を味方につけるべきだったのではないでしょうか。
今となってはもうわかりませんが。単に想像です。

PPV MITB当日。会場は地元シカゴのオールステート・アリーナ。
リングアナは同郷かつ盟友のジャスティン・ロバーツ。対戦相手はジョン・シナ。
全ての条件が揃いました。この時の会場の雰囲気は今でも忘れません。
CMパンクコールでパンクの入場テーマ曲が一瞬かき消されます。

試合はパンクが勝利し有言実行とばかりにベルトを持ったまま、
客席を通り会場を後にしてしまいます。
この後、パンクはTwitterで自分の家でしょうね。
冷蔵庫にWWE王座ベルトを放り込んだ写真をアップしていました。
まったくもって不謹慎ながら笑ってしまいました(笑)

そしてベルト不在のままPPV翌日のRAWがスタート。
当日のエンディング。暫定王者を決めるための戦いにシナが勝利。
するとそこへ聞きなれない曲が流れベルトを持ったパンクが登場!
この時の曲こそ「Cult Of Personality」です。名曲です。

この時パンクは新たに3年契約をWWEと交わしたと思われます。
2014年7月までの3年契約です…。

8月のサマースラムにてシナと再び一騎打ちをし勝利。
真のチャンピオンとなりますが、ナッシュが突如乱入。
ジャックナイフパワーボムを受けKOされているところへ、
MITBを行使したデル・リオによってベルトを奪われます。

これをHHHの策略と踏んだパンクはHHHとの戦いへと踏み切ります。
9月のPPVで遂に一騎打ちとなったのですが、
2006年のPPVの時から5年。あの頃には戻れない2人の離れてしまった距離感を
如実に表すかのように試合までのストーリー部分から実際の試合まで、
どこかチグハグというか。正直あまり噛み合っていないようでした。

リング上で魂のケンカしようぜ!とふっかけたのに殴り合ってくれなかった。
といったような印象でしょうか。どちらが、という事ではなく。
ここも完全に私見であり、たくましい想像だと一笑に付してくださいね。

その後11月のPPVでデル・リオからベルトを奪取したパンクは2013年1月まで、
実に1年以上に渡ってベルトを防衛し続けます。
そしてベルト保持期間434日という当時現役で最高の記録を打ち立てます。
歴代7位の大記録で上位は、
1位:ブルーノ・サンマルチノ(2803日)
2位:ボブ・バックランド(2135日)
3位:ハルク・ホーガン(1474日)
4位:ボブ・バックランド(1470日)
5位:ブルーノ・サンマルチノ(1237日)
6位:ペドロ・モラレス(1027日)
と既に現役を退いた方ばかり。
これは未だ破られていない記録です。

奇しくも後にパンクも現役ではなくなってしまいますが。
ちなみに調べたところ現時点でパンクは7位のまま。
8位はジョン・シナ(380日、2006年戴冠時~)でした。
彼が現役で最長期間のベルト保持者となりますね。

このように2011年のWWEはパンクの年だったと言えると思います。

余談ですが、この年のレスリングオブザーバー誌のMVPランキングでは、
パンクは第2位でした。シナは3位。1位は棚橋弘至選手でした。
棚橋選手も2011年1月にIWGP王座戴冠後、2012年オカダに敗れるまでほぼ月イチのペースで
IWGP防衛戦を行い全国をプロモーションし、まさに命を削ってエースの座を死守し、
最多防衛回数の記録を打ち立てるのでした。
2011年開始時はIC王座もNEVER王座も存在せず、
(IC→2011年5月~、NEVER→2012年5月~)
文字通りIWGP王者が新日本プロレスを牽引していきました。

この2011年の戦いがあったから、
棚橋選手は今、世界で尊敬されるレジェンドとなったのでしょう。
そして同じように2011年の戦いがあったから、
CMパンクは正真正銘のBest In The Worldとなり、
ジョン・シナも誰もが認めるFace Of WWEとなっていったような気がします。

 

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