こんにちは。
自己紹介文はこちらから
ご覧いただけたら幸いです。

好きなプロレスラーの話です。

CM PUNK(CMパンク)最初に断りを入れさせてください。
2017年2月21日時点、過去・現在・未来において、
私が一番好きなレスラーがCMパンクです。

彼のDVDも観ましたしインタビュー記事も読みました。
WWE時代はリアルタイムで観てきましたし
先のUFCデビュー戦も試合後のコメントも観ました。
その上で今でも一番好きなのです。

 

文中、※印がついている箇所ですが、
自身のDVDの中で語っていた内容の中で、
私が個人的に感慨深いと感じた事などを後述します。

ちなみにそのDVDはこちらです。
生い立ちからインディーのカリスマ時代、ROH時代、
そしてWWE時代とキャリアを積み重ね、
バックステージリーダーになっていく過程などや、
度重なる上層部との衝突、そこでの人間関係などが語られています。
ファンならばHHHとの関係、シナやオートンとの諸々など
気になる箇所がたくさんあると思いますが、
このDVDを観ればさすがに全ては語られていませんが、
パンクを見てきたファンが前後や背後関係を想像するには
十分過ぎるほどの内容が語られていると思います。

また、現在トップクラスにいる「あの人」がまだ売れない時代に、
パンクとバックステージで会話しているシーンなども
ほんのちょっとだけ収められていて細部まで必見だと思います。
試合としては2006年~2011年までが収められており、
最後の試合はレッスルマニアでのオートン戦です。
ここまでのいきさつの裏側も色々あったようです。

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~本文~

知ったのは2000年以降です。※1
サモア・ジョーとROHで60分フルタイムドローを2回か3回戦った。
という情報を知って興味が湧いていました。

私が覚えているパンクのWWEキャリアと個人的感想をざっと年号順に書きますね。

■2006年
WWE ECWデビュー。
同年のサバイバーシリーズにてチームDXメンバーに抜擢。チームRatedRKOと対します。
DXコール一色になるかと思いきや凄まじいパンクコールに鳥肌が立ったのを覚えています。
…その後のHHHとの関係を考えると、なんだか信じられないような感慨深い光景でした。

■2007年
ECW王座に戴冠します。
この年は好きだったクリス・ベノワの例の一件があり他の記憶があまりありません。

■2008年
MITB獲得後、エッジから世界王座を奪取します。※2
後半に盟友コフィとタッグ王座に戴冠します。※3

■2009年
またもやMITBを獲得します。
後半にジェフ・ハーディから世界王座を奪取、以降の抗争の中でヒールになります。
この時期くらいから元々本当に自身の信条としていた禁欲主義(ストレートエッジ)を、
強烈にキャラとして打ち出しジェフを飲酒や薬物に溺れたレスラーであると、
スレスレの事を言い出し始めます。ヒヤヒヤしました。※4

■2010年
ロイヤルランブルに出場し序盤戦でパンク無双とも言える活躍を見せますが、
HHHによって敗退させられます。初めての衝突ですね~。
その後はミステリオとその家族を相手にまたまた禁欲主義キャラ全開で迫ります。
この時の抗争で髪の毛を剃らされたのだと記憶しています。
レッスルマニアでの6分弱の名勝負は今でも色あせません。

2011年以降はまた別途。それでは。

※1:格闘技のバックボーンもなく、スポーツで優秀な成績を収めたわけでもなく、
地元シカゴで友達(後のリングアナ:ジャスティン・ロバーツもいた)と一緒に、
裏庭にリングを立てプロレスごっこの延長みたいな事をやりだします。
当時プロレス団体が同地シカゴで数百人しか集客できないのに、
パンクは2000人近く集客したと語っています。
カリスマ性は当時から凄まじかったのが画面を通して感じ取れます。

このカリスマ性を武器に盟友のコルト・カバナと共に各地のインディーシーンを席巻していきます。
なんとあの英雄、エディ・ゲレロともシングルマッチをやっていた事がわかります。
どうやら「インディーにすげえ奴がいるぞ」との噂が全米中に広まったらしく、
この時にWWEが触手を伸ばした形なのでしょう。

まだSNSなどが世に出ていない時代でしょうから、その影響力たるや恐るべしです。
前述しましたが彼は格闘技の猛者だったわけでもないですし、
身体能力が凄いとか体がデカいとかも特にないような人間なのですから。
ポール・ヘイマンがDVD内で
「いつか一緒に仕事をしたいと思っていた」と語っているのが印象的でした。

※2:ストーリー上ではその後、複数を同時に相手する防衛戦が組まれた日。
試合前バックステージで、突如オートンとレガシーに襲われて試合を欠場してしまい、
防衛戦すらやらせてもらえませんでした。

正直当時不可解に思っていましたらDVDにてこのようなニュアンスの事を語っていました。
「俺を妬むやつがこの時は多くて足を引っ張ろうとする事があった」
どこまでが真実なのかは定かではありませんが、
既に会社へは不信感がある程度募っていたのかなと感じました。

おそらくですがパンクは、その主犯格を「彼」だと思っていたんじゃないのかなと。。
これは本当に私見です。たくましい想像力だな(笑)と一笑に付してください。

※3:コフィとはこの時期、自身が所有するトレーラーバスで一緒に移動していたそうです。
バスの中には「コフィシート」と呼ぶ彼専用の席があったそうです。
思い返せばこの時期くらいからコフィの動きがよくなったように思えます。

その後のギャローズの再生やセレーナをデビューさせたり
マーキュリー復帰に一役買うなど「パンク再生工場」みたいな。
後輩への面倒見の良さは画面を通しても感じ取れました。

そして若手の相談に乗ったり当時の2軍のFCWに足繁く通いつめて若手を指導したりなど、
バックステージリーダーという存在になっていこうとしていたように思えます。
そして、きっと数年後くらいには自分が育てた若手を率いて
自身の王国みたいなのを作りたかったのかなと思ったりします。

で、たぶんですけど、この構想は別の形で日の目を見ることになるのかな~とも。
あ、何度も申しますが本当に私見なので。
たくましい想像力だな(笑)と一笑に付してください。

※4:ストレートエッジの詳細な意味は後から知ったのですが、
喫煙しない、麻薬はやらない、快楽目的のセックスはしない。だけだと思っていたのが、
人によっては、いかなる薬物も使わない(医師から処方されたのも含む)など、
パンクはまさにこれに該当しているみたいでした。

頭蓋骨骨折だかの大怪我を負った時も、医者に行かず知り合い
(これが誰かはDVDを御覧ください。パンクの家庭環境などが垣間見れます。)
の家で動けるようになるまで寝たきりで過ごすという荒行をやってのけます。

 

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