こんにちは。
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ご覧いただけたら幸いです。

生い立ちを振り返っている最中でございます。
今回は中学時代です。

幼少~小学校時代はこちら

小学校卒業式の事は一切記憶に無いです。
なんにも覚えていません。見事にゼロですね。

区立中学へと進みました。
これもいつぞやの投降で触れたかもしれませんが、
先生同士、地域のネットワークでつながりがあるみたいで、
私の印象=弱い者いじめをするやつ
という風に固められていました。
また、この時にはクラス替えも先生同士で話し合って、
こいつはこうだからこのクラスへ放り込もう
みたいにして決めているんだという話も聞いたりしていました。

この時学んだことをざっくり言うと
1.頑張ったって無駄だ
2.誰も信じられない
です。気が向いたら後述します。

1年生の時。
前の投降でプロレスにハマったきっかけである、
ファイプロを我が家に持ち込んでくれた親友とこの時会います。
今は疎遠になってしまいましたが…元気だろうか…

私の後ろの席に変なやつがいて、
独り言をブツブツつぶやいているんです。授業中に。
あまりにうるさいから私が「うるさいな!」と注意すると、
殴ってくるような、ちょっとこわいやつでした。
殴ってくるので殴り返したりしていました。
担任はその様子を偏らせて見ていたのでしょうね。
前述の通り担任は私を「弱い者いじめをするやつ」と思っていましたから。
少なくともそいつは私よりも体格は大きかったし、
小学校時代も知っていましたがいじめられるようなやつではありませんでした。
適当なターゲットをいじめている(ように見える)私をかっこうの見せしめにして、
クラスの士気を高めようとでもしていたのかな、と。
後に中学の同窓会をやる事になるのですが、
そんなような事を同級生に聞いたんですよ。
とにかく計算高い教師だったようです。
悪者を作り上げてそいつを叩く事でクラスをひとつにするみたいな。
確かにクラス対抗の行事(運動会や合唱祭など)は、
その担任のクラスがいつも成績が良かった記憶があります。

ある日、美術の時間でしょうか。
そいつがまたブツブツうるさいので注意したのかな?
それともそのやり取りが何度か続いて怒った私が叩いてしまったのか。
美術で使う鉄の定規で側頭部を殴られました。
本当にアニメみたいで。殴られたところが妙に熱いから、
触ってみると手のひらに血がベットリついていました。
プッツン切れてそいつに殴りかかって周りが止めてくれて。
近くのやつらは一部始終を見ていましたから心配してくれて。
そいつは教室を飛び出し逃げていきました。
そこから記憶が飛び飛びで。保健室で担任に怒られている場面。
「弱い者いじめをするからこうなるんだ」と言われたことと、
その後のホームルームでこう言えああ言えみたいな事を刷り込まれた記憶があります。

その日のホームルームで、
皆の前で起ち上がって「弱い者いじめをしてすみませんでした。
○○君(定規で殴ってきたやつ)ごめんなさい」などと言わされた記憶があります。
ただ、ひとつそんな中でも教訓というか。
あぶないやつは放置。簡単に人は信用しちゃいけない。
というのを覚えました。心は完全にシャットアウトですよね。

その担任は以降も事ある毎というか。
廊下で友達とふざけあっているだけで
「何だお前、またいじめてんのか」と私だけとっ捕まえて、
今で言うと体罰めいた事をしてきたり。

体育教師でバスケ部の顧問だったのですが、
体育の時間はとにかくひどかったです。
私が失敗すると率先して笑いものにしていましたし、
ドッジボールでは私が孤立するように周りに仕向けて、
私が逃げ惑うのをおもしろがっていました。
その状況が嫌だからわざとぶつけられて負けようものなら、
わざとだからダメだ、戻れみたいな感じで戻されました。
あとは剣道の授業だとケツバットみたいなノリで竹刀で叩かれたり、
試合で防具が外れてしまったりしても停めてくれず、
相手に殴らせるように仕向けたり。
大人に対して殺意を覚えたのはこの時が初めてでしたね。
この教師はバスケ部の生徒を贔屓する、というのでも周囲では有名でした。

この担任は1年時だけで2~3年は違う担任でした。
クラス自体は1年毎にメンバーは変わっていった気がします。
2~3年時はいい思い出も悪い思い出もなんにもありません。

通知表は相対評価で、(今もそうかはわかりませんが)
1~5までパーセンテージで割り振りが決まっているという。
体育は常に1だった気がします。2の時もあったかな…
跳び箱で一番高い段を飛びまくっても、
マラソンで上位になってもサッカーやバスケで頑張っても、です。
小学校時代いじめられていたのを、とにかく見返したくて、
これでも頑張っていたんですよ。それでも認められませんでした。

皆勤もしたんです。38度か39度くらいの高熱をした時も出席しました。
※インフルじゃないですよ?
なのに皆勤賞に選ばれたのはバスケ部の生徒のほうでした。
卒業式の日かな?その前の練習の時か、忘れましたが、
その事実を知った時には絶望しました。
卒業式終わりに悔しさもあって会場外で泣き崩れて人目もはばからず号泣しました。
周りは別れの寂しさだと思っていたでしょうが違います。

小学校の時のクラス替えも3~4年の時に
私が年下の子達に威張っていた事を聞きつけ5~6年時に
痛い目に合わそうと思ってああいうクラスにしたのか、
などと邪推するようにもなってしまいました。
とにかく大人が信用できませんでしたし、
それまでに関わった大人全てを憎むようになってしまいました。

前述した「学んだこと」の直接の原因はこれらです。

修学旅行みたいなのも行きましたが一切覚えていません。
寝相を笑いものにされたトラウマもありましたし。思い出せないですね。
家族にお土産を大量に買って帰ったくらいしか記憶に無いです。
喜んでくれるのが嬉しかったんだと思います。置き場所困っただろうな…

高校受験自体は2年生の時に英語と数学は家庭教師を親につけてもらって、
国語は本を読むのが好きな母親がついてくれて長文読解など教えてくれました。
そういった自分の味方になってくれる人もいたので、
そういった人の助けと、自分なりに必死に頑張り、
国語、英語、社会の成績はかなり良かったと思います。

母親は主婦で、父親と9歳上の兄は学校で勉強して高校、大学と進み、
良い企業に就職してサラリーマンという道を進んでいる印象でした。
まだ兄は大学生で就職していなかったのかな?
だからか、自分もそういう道なんだろうと漠然と思っていました。
特に兄とは常に比べられている気がして嫌だったです。
いじめられていた事もあいまって兄はエリート、私は落ちこぼれ。
みたいに思われている気が常にしていました。
劣等感の固まりでしたね。

当時はドラゴンクエストとファイナルファンタジーが好きで、
エニックスかスクエア(当時は別会社でした)で働きたいななんて思っていました。
ゲームを作る=キャラクターデザインとしか想像できなかったですけどね。

この時期はこのような思い出しか本当になくて、
両親や祖母が私のために何かプレゼントというか、
してくれた事があったかもしれませんが思い出せません。
これは本当に申し訳ないと思っています。

 

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