こんにちは。
自己紹介文はこちらから
ご覧いただけたら幸いです。

生い立ちを振り返っている最中でございます。

引き続き専門学校時代を振り返ろうと思います。

間が空いてしまったので、よろしければ過去分もどうぞ…
生い立ち

CG科での2年間を終え、
自分がグラフィックの仕事ができないという現実を突きつけられ、
自分がどうやって生きていくかを考える必要が出てきました。

この時に考えていた事は確かこんな感じです。
「人と話すの苦手だし画面の前でカチャカチャやってよう」
「そうすれば人と話す事もないだろうし自分の世界を作れる」
たぶんこんな感じでした。
少し塞ぎ込んでいる感はぬぐえませんね。
しかも明らかに仕事をナメているというか。
自分の事しか考えていないようにも思えます。
お金を稼ぐという事がいかに大変かを分かっていないような印象です。

さておき。

研究科での1年が始まります。
CG科での2年とはまったく違いました。
プログラミングの授業なので正直あまり楽しくありませんでした。
でも授業で出される課題などはコツコツとこなしていきました。
単位もなんなく取れていったと思います。

この時期は俗にいう就職氷河期と言われる時で、
クラスメートでも面接に落ちただの書類選考が通らないだの、
ネガティブな話題ばかりでした。

確か夏頃だったと思います。

就職課で求人を見ているとひとつの会社が目に止まりました。
この学校からも就職した人がいる会社でした。
その会社は叔父の知り合いが役員をやっている港区の会社でもありました。
申し訳ないのですが、
就職課で求人を見たのが先か、叔父の関係で知ったのが先か、
正直覚えていません…

適性試験と面接が2回でした。
適性試験の結果を役員面接の時に言われたのですが、
エンジニアとしての適性は高いとの事でした。
当時の職種名で言うとシステムエンジニア(SE)として就職するつもりでした。

その後、就職氷河期の影響を受けることなく、
私は運良く内定をいただきました。
ちなみに私が好きだった(好きだと思っていた)
ゲーム業界ではなく大手コンピュータメーカの協力会社でした。
振り返るとこの時にはゲーム業界で働きたい!
という思いが何故か消え失せていたように思えます。

内定後、入社前研修が行われました。
そこで同期と顔を合わせ研修テーマをクリアしていく流れとなり、
その研修後に配属時の職種を通知されるのですが、
カスタマーエンジニア(CE)※今ではフィールドエンジニアとも言われていますね
でした。…え、SEじゃないの??と思いました。

この年に母と2人で1泊2日の旅行に行きます。
大阪へ行きました。道頓堀も歩きましたし、焼肉も食べました。
ホテル近くの屋台みたいなところでたこ焼きを買った覚えもあります。
他には母の両親の眠る場所へも連れて行ってもらいました。
母のルーツを初めて知ったような。そんな感覚でした。
振り返ると、それまでは受験にうまくいかなかった劣等感などもあり、
正直あまり込み入った話ができなかった、というかしたくなかったかもしれず、
でも母はずっと私の味方をしてくれていたようにも思っていて。
だから、この時初めて面と向き合って所謂親子の会話ができた気がします。

大切にしたい思い出のひとつなので、
これ以上は胸の中にしまっておくことにします。

こうして内定も決まり研修も終え、
学生生活もバイト生活も終えようとする中、
卒業制作としてホームページを作りました。
(かなりゆるくて、なんでもよかったのです…)

もっと言うと、この年の始めの頃に既に作り終えて実稼働していたものを、
卒業制作と称して、さも先日作り終えましたみたいな顔をして発表しました。。

そのホームページというのが、
いつぞやの投降で触れましたが、
ファイプロのエディットレスラー公開ページなのでした(笑)
パワーポイントと実際の画面を見せて
先生とクラスメートに説明するのですが、
当然みんなプロレスに興味のない人達なので、
なんのこっちゃと思っていたでしょうね(笑)

この時にCG科で出会った親友達の1人も自身のCG制作を公開していたので、
相互リンクなどもしていました。その時にまた彼等と再会したのでした。

バイト先にも就職が決まった事を告げ、3月末だったかな?
辞める旨をお世話になった店長に伝えました。

思い返すと、確かに障壁はありましたが、
この専門学校での合計3年間は本当に充実していたと思います。
ここから自分の人生は始まるんだ、などと息巻いて、
でも本当の自分をさらけ出す事に抵抗があって斜に構えたり。
それでも付き合ってくれる友達に出会えて。その友達は時を経て親友達となり、
今でも変わらぬ付き合いをしてくれていて。
バイトでも社会勉強というか、人としての基本的な事を文字通りそこで学べて。
飲みに行った時にバカ騒ぎしたり。母親とも一緒に旅行に行けたり。

これでひとまず幼少時代から学生時代までの振り返りは終わりです。
劣等感とか思いやりのない大人達との関わりだとか、
私自身もそういう人達への不信感から向かい合う事を避けていたりなど、
言いかえると自分自身で壁を作り人と深く関わる事自体を避けていたような。
ナイーブすぎる。感受性が豊かすぎる。心に傷を負うのが怖くなっていたかも。
そういう弱い部分を知られたくなくて(知られるといじめられると思ってしまっている)
バイト先でも手を差し伸べてくれた人達に対してもちゃんと恩返しというか。
向かい合う事ができていなかった気がします。
にも関わらずよくしてくださったバイト先の方々には感謝しかありません。

この時期に形成されたものというのは、
やはり根深く今になっても心の中に残っているのだと思いました。
自分自身そういう性格が嫌で嫌で変えたい、変えようと思ってきましたが、
なかなか変えられないものなのですかね。
それよりは自分の弱い部分や、あるいは惨めな部分も受け入れて、
うまく付き合いながら生きていく方が建設的だったりするのでしょうか。

まとまりのない文章ですね…すみません。

この後は社会人時代へと突入するわけですが、
それは気が向いたら…それでは失礼いたします。

 

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