こんにちは。
自己紹介文はこちらから
ご覧いただけたら幸いです。

生い立ちを振り返っている最中でございます。

間が空いてしまいました…
自身のターニングポイントとなったであろう
専門学校時代を振り返ろうと思います。

よろしければ過去分もどうぞ…
生い立ち

この時代は、濃いですね私にとって。

入学したCG科は2年制でした。
周りは小さい頃から絵を書いてきたような人ばかりでした。
幼少期に絵は書いていましたが辞めてしまった。
そんな私が太刀打ちできるわけはなく、ヘタながら食らいついていきました。
好きな仕事につながると信じて必死で勉強しました。
IllustratorやPhotoshopはもちろん、
3D系デザインソフトもいくつか触りました。
当時と今ではソフト名は変わってしまっていますが。

先の投降で述べましたが、
日中は専門学校、夕方~夜はバイト。
といった生活を送っていました。

私は一浪して失敗しているので、
高卒で専門学校に入ってきた人達とは年齢が離れていて、
正直当時は斜に構えてといいますか。
背伸びをしようとしていた気がします。
それまでの自分に自信がなかったこともあり、
どういうキャラを上乗せしようかとか。
本当の自分をキャラで覆い隠していたところがあったはずです。

それでもつるんでくれた仲間達がいました。
彼等とはCG科を卒業するまで、そして今に至るまで、
ずっと交流があります。大切な親友達です。
私がうつ病になり誰とも会いたくない時にも、
よかったらちょっと外に出ようやと声をかけてくれたり、
会社を退職になった後、都会を離れたいと言ったら、
車を出してくれて山梨まで連れて行ってくれたり。

だから、今はなくなってしまったこの専門学校ですが、
私にとっては本当に大切な場所なのです。
当時は本当にそれまで全くと言っていいほど、
人生良い事がなかったから「俺の人生は今やっと始まったんだ」
と本気で思っていたくらい、かけがえのない場所です。

入社説明会なども一緒に行きました。
そこでひとつ懸念が生まれます。
説明会の最後に参加者アンケートがあり、
その項目の中に「色弱、色盲か否か」というものがありました。
ハッとしました。忘れていた事でした。それにも理由があります。

実は小学生時代にだけ、それも低学年の時だけだったと思いますが、
色覚テストなるものがありました。下記リンクのような絵を見せられ、
その中に潜んでいる数字は何か?を当てるものでした。
※色覚テストで画像検索しました。こういうやつです。

私はことごとくわかりませんでした。
どうやら私は珍しい人種だったようで
「え?わからないの?じゃあこれは?え?じゃあこっちは?」などと、
奇人変人を見るようなテンションで診断者に何回も試されました。
が、本当に全てわかりませんでした。
診断結果は必ず「色弱」でした。
ただ、それだけ散々面白がった挙句、こんなような事を診断者は言っていました。
「大丈夫、生活にはぜんぜん関係ないから心配しないで」
もう信じるしかないですよね。

周りの奴らからも珍しいみたいで、
この話をすると必ず言われるのは何かを指差して、
「これ何色?えーわからないんだw」というクソみたいな会話が繰り広げられます。
本当に気分が悪いです。(言葉悪くてすみません)
なんでちょっと他と違うと好奇の目で人を平気で見るのでしょう。
本当に当事者の気持ちになろうとしない。

こんな記憶が蘇ってきました。

黄色、黄緑、オレンジの違い。
黒と濃い紺や赤の違い。
わからないですね。
信号も正直わかりません。
位置で覚えていたので、どこが光ったら赤か青かという感覚でした。
あとは、都内だと信号付近に行くとだいたい他の人が信号待ちしています。
なので、その人達に習っていけば大丈夫だろうという感じもありました。
だから、一人ぼっちで信号待ちしていて車が信号手前で待っていない時などは、
「あれ?青になったのか?赤か?」とわからなくなる時が正直あります。

運転なんてもってのほかだろうと思います。

「あれ、俺、ゲーム業界で働けないのかな?
こんなんでこの業界で働きたいなんて思っちゃいけなかったのかな?」
という思いが頭をかけめぐりました。

ある日、学校の就職課の人に打ち明けました。
その方は真剣にこう答えてくれました。
「CG系はやめたほうがいい。仮に就職できたとしてもいつか辛い思いをするから」

自分の事をよく理解せず、思いのままに進もうとして痛い目にあった感じでしょうか。
目の前が真っ暗になるというのはこういう事か。とその時思いました。

どれくらい間が空いたでしょうか。
「ゲーム業界で働く事はもうできないって事ですか?」と聞きました。

「デザインじゃなく開発職はどう?プログラマーとかエンジニアとか」
「ひとつの事をコツコツやるのが得意だったら向いているかもよ?」
と言ってくれました。

この学校には1年制で「情報処理研究科」という学科があり、
そこでプログラミングなどを学ぶ事ができるし、
そこを卒業すればCG科2年+研究科1年で3年制扱いになって、
初任給が若干よくなるよ、とも教えてもらい、決意した気がします。

よし、研究科に行こうと。
人と話すのも元々そんなに得意じゃないはずだし、
画面とにらめっこしながらキーボードを叩くのもいいな、なんて。

こう振り返ると、
この時には既になんとか前向きになろう、
困難に負けてなるものか、みたいな気持ちは芽生えていたんだなと思います。
しかし、どうにもなりません。進むしかなかったと思います。
「こうしていればな~」みたいな後悔は一切ありませんから。

この時にCG科の親友達にこの事を告げたか覚えていないですが、
卒業後、研究科に行くわ、と告げただけな気もしますが、
とにかく一旦彼等を別れ、1人研究科へと進むこととなりました。
この1年間は彼等と会っていたか正直記憶にありません。
ネット上では通じていましたが。それは後編にでも…

 

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