こんにちは。
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ご覧いただけたら幸いです。

2011年3月11日。

私は関東圏の人間ですが、
この日のことを忘れたことはありません。

しかし、人間の記憶というのは残念ながら、
新しいものに書き換えられていくというか。
風化していってはいけないものだと思うので、
今ここに、あの日あの時、
身に起きた事や感じた事を記しておこうと思いました。

まず3月9日。
この日私は当時の職場の最終出社日を迎えていました。
実際は3月末退職で有休消化をして過ごすつもりでした。
この日が最終出社日になったのは偶然です。
3月末で退職する旨は2ヶ月くらい前から職場に伝えていました。
有休消化をしようと残日数を3月末から逆算したら、
たまたま3月9日が最終出社日になっただけの事でした。
だから最終出社日が3月11日になっていた可能性もあったわけです。

3月10日には4月から仕事をするために予定していた面接に午前中行きまして、
午後には地元駅で母と合流して駅ビルで食品の買い物をしました。

そして3月11日。
父は予定していたゴルフへ行くべく、
朝から車で群馬のほうに行っていて家には私と母だけでした。
母とプロレスを観ようという事になり、
10~11時くらいから観始め14時過ぎに観終わりました。
その後、母は洗濯物を取り込む前にタバコを吸うとの事、
私は2階の自分の部屋に行きました。

部屋に着いた時、転職エージェントから電話がかかってきました。
電話でしゃべっていると母が洗濯物を取り込むために、
2階へ上がっていく音が聞こえました。
そしてベランダがある寝室へ入ったあたりでしょうか。

突如揺れだしました。

私はまだ電話でしゃべっていましたが、
どんどん揺れが大きくなっていって、
電話の向こう側でも地震を感じ取っているみたいで、
電話口のエージェントと電話切りましょうという事になり、
電話を切って寝室にいるであろう母のところへ行きました。
布団を取り出し2人で包まって地震をやり過ごした記憶があります。
その後1階へ降りましたが細かな余震が相次いだので、
食卓のテーブルを居間に運び下にもぐったりなどしたのを覚えています。
慌てる事すらできなかったあの恐怖感。今でも忘れません。
母を守らなきゃ!という、ただその一念のみでしたが、
実際に守ることができたかどうかはわかりません。
それくらい何も考える事ができないほど恐くて何もできませんでした。

地震により屋根の瓦があちこちに落ちていました。
車庫の屋根が落ちた瓦で貫通していました。
父が朝、車を出していなかったら車がやられていたでしょう。
ベランダの各所にも瓦が落ちていました。
一服せずにそのままベランダで洗濯物を取り込んでいたら、
落ちてきた瓦で母は大怪我をしていたかもしれません。
そんな事を考えながら惨状と化した私の部屋を見つめていました。
父は日帰りの予定でしたが、
群馬のホテルで1泊して翌日帰ってくる事にしました。
この日は1階の居間に布団を敷き寝る事にしました。

3月12日。
午前中に食糧の調達に近くのセブンイレブンに行ったのを覚えています。
みんなが買いだめをしていた状態だったこともあり、
ほとんどの商品が陳列棚に無かったのも覚えています。
午後になるちょっと前くらいでしょうか。父も無事帰宅しました。
互いの状況の情報交換をし、なんというか…心の底から再会を喜びました。

3月いっぱい続いたでしょうか。
1階の居間で3人で布団を敷いて寝たのが今では懐かしいですね。
私は歯ぎしりが凄いので迷惑をかけてしまいましたが…

転職エージェントに聞いたのですが、
3月中はほとんどの企業が通常稼働にならず、
採用含めてほとんどがリセットされてしまったりと、
転職活動をするのは得策ではないような状態でした。
仮に前職を辞める前に次の職場が決まっていたとしても、
この事情の影響で話自体が頓挫していた可能性もあったでしょうね。
それくらい日単位、時間単位で状況が変わっていたのは今でも記憶しています。

確か次の仕事が決まったのは4月に入ってから。
第1週くらいだった記憶があります。

…ひとつプロレスネタを放り込ませてください。
この3.11の約1週間前。
当時ZERO1にてあの橋本真也さんのご子息である橋本大地さんがデビューを飾りました。
正直動きを追いきれていませんが今は大日本プロレスにいるようですね。
偉大な名に負けることなく頑張って欲しいですね。

話を戻します。

3月30日。
冒頭で述べた3月9日に最終出社を迎えた職場での送別会に呼んでもらいました。
実際に被災された方々と比べたらこの程度で、となってしまうでしょうが、
それでもああいった出来事があり気持ちが落ち込んでいたこともあり、
かなりはっちゃけてしまいました。申し訳ないほどに。
職場関係の飲み会であそこまでハジけた事は後にも先にもないでしょう。
それくらい、あの職場は私にとって居心地がよかったのだと思います。

はっちゃけすぎて、言葉を変えれば酔っ払いすぎて。
記憶がほとんどなくて。断片的に述べれば↓

・2次会(なのかな、3次会なのかな)終わって駅までの道程をフラツイている様。
~~~~
・タクシーで地元まで着き、降りる。
・脚がもつれて転んでしまう。
・両手に餞別品を持っていたため受け身を取れず、
顔面から地面につっこんで前歯を折る。フェイスバスター。

というように飲み会での最後の方の記憶がまったくなく、
前歯を折った記憶で埋め尽くされています。

3月31日。
激痛と共に目覚め、両親にドン引きされ、
急いで近場の歯医者を予約し向かうのでした。

いつぞやのブログで触れましたが、
私にヒーリング音楽CDを貸してくれた友達が、
この月にマッサージ技術を磨くべくタイに行くのですが、
たぶん私、歯医者に行く道中ですれ違っています(笑)
なんか、キャリーバッグを持った見覚えのある女性が、
すれ違う際にやたら私を見ていたのです。
ベタな2度見をするくらいに結構ガン見な感じで(笑)
私もその時は歯が折れてて痛くて話しかける余裕もなく、
そこで話しかけたとして折れた歯の事を説明するよりも、
一刻も早く歯医者へ行きたかったのでそのまま普通にすれ違いました。
2011年の3月にタイに行っているのはこの前会った時に聞いていますし、
たぶん間違いないと思います(笑)

その最終確認はしていません。
だって、今更感満載じゃないですか(笑)

なんだか最後は他愛もない話になってしまいましたが…
これが2011年の3月に起きて、今現時点で私の記憶に残っている事の全てです。

書いてみて感じたのですが、
当時から時間が経ってしまっているんだな、と。
こういうの、本当よくないなと思うのですが正直な気持ちです。
当時だったらもっと生々しく書いていたと思います。
これ以上風化させたくないと思っているのも正直な気持ちなので、
今一度、自分が出来る事をひとつひとつ。後悔のないように。
良い明日にするために今日1日を生きようと思う次第です。

 

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